歎異抄 唯円
嘆異抄 唯円 金子大栄校注
[一]
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、
往生をばとぐるなりと信じて、念仏もうさんと
おもひたつこころのをこるとき、すなわち摂
取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥
陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれ
ず、だだ信心を要とすとしるべし。そのゆへ
は、悪行深重、煩悩熾盛の衆生をたすけ
んがための願にてまします。しかれば本願
を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏
にまさるべき善なきゆへに。悪をもおそるべ
からず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪な
きゆへにと、云々。
参考
ここで全般にわたる思想内容を知るために、
一応真宗の教義を述べることとしよう。
それには、「他力真実のむねをあかせるも
ろもろの聖教は、
本願を信じ(信)
念仏をもうさば(行)
仏になる(証)
そのほか、なにの学問かは往生に要なるべき
や」(第十二章)という適切な言葉がある。これ
が真宗の教義である。
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