« 歎異抄 唯円 | トップページ | 歎異抄 唯円 »
[五]
親鸞は、父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまださふらはず。そのゆへは、一切の有情はみなもて世世生生の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次に仏になりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念仏を廻向して父母をもたすけさふらはめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道、四生のあひだ、いづれの事苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなりと、云々。
2009年1月 1日 (木) 心と体 | 固定リンク Tweet
この記事へのコメントは終了しました。
この記事へのトラックバック一覧です: 歎異抄 唯円:
コメント