はじまった「地獄」をどう生きるか 五木寛之
新潮 45 2009 3 特別インタビュー
はじまった「地獄」をどう生きるか 作家 五木寛之
「おい、地獄さ行(え)ぐんだぞ!」と「蟹工船」の労働者は身震いした
「地獄は一定すみかぞかし」と親鸞は断じた。時代が「地獄」に立ち向かい、そこを生きることを強いる本「人間の覚悟」の著者が語る叡智の言葉
「神の不在」
私が注目したのはバラク・オバマの大統領就任演説の
[God bless you. God. God bless the United States of Amereca.]
という部分です。就任式には牧師が立会い、大統領は聖書の上に手を載せて「神の御名において」宣誓します。これは神に対して宣誓しているのであって、アメリカ国民に対して宣誓しているわけではない。ドル紙幣には[IN GOD WE TRUST]と印刷してあります。アメリカ経済のおける「神の不在」というべきなのかもしれません。オバマを待っているのは、本当の地獄だろうと思います。
漂流の時代
目指すべき目的地が見えない漂流の地獄、思想的にも、政治的にも。強力な指導者がいない、漂流の時代です。例えば「京都議定書」に象徴される環境問題にしても、私はうまくいかないと思っています。なぜなら、ここで表明されている思想は人間は地上で一番大切な存在で、これ以上環境を汚染したりすれば、その大切な存在が危うくなる、だからもっと自然を大切にしろ、という人間至上主義が根源になているからです。そうではなく「山川草木悉有仏性」「命あるのものの共生」という世界観が出てこなければ、環境問題は絶対に前に進まないと思うのです。
親鸞はいまだ成らず
「古京はすでに無くて、新都はいまだ成らず」平安末期から鎌倉時代の始めと非常によく似ている
「下山の楽しみ」
まずは、自分が行ったことに対しては、国はきちんとした保障、見返りをしてくれることを「絶対に期待しない」と覚悟することです。自分の老後は子供に頼るのではなく自分で看るしかないと思い定める。
デフォルト(債務不履行)国でもデフォルトを起こすことがある。
個人としていえば「荒野に投げ捨てられた一人の難民」として生きる
ということです。真心を持って一生懸命尽くすのは無償の行為であって見返りを期待しべきではありまん。
介護資金を投入せよ
「鬱」の時代は向こう50年ぐらいは続くとみています。
年金を支払うのは義務ですが、支給という権利は当てにできないのです。
「地獄」に生きる覚悟
今の時代を象徴するキーは
1.「蟹工船」 貧困
2.ドストエフスキー 神なき時代の形而上的犯罪
3.親鸞 信仰の在り方を人間存在の根底から問いかけています
だという気がします。
「夜を生きる哲学」
夜は思索の時間でもあります。判断においては悲観的、そして行動においては楽観的であれというのはそういうことです。
最後に言いたいのはこの鬱の闇「鬱の時代」が二、三年で元に戻るとは思わないことです。夜が明けるにはそれの何倍いや半世紀ぐらいはかかるかもしれない。今、その明けない夜を生きる「覚悟」を決める時が来たと覚悟すべきでしょう。
いつきひろゆき
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