戦後 65年 特別企画 私と玉音放送
新潮45 2010 8
戦後65年 特別企画 私と玉音放送
~あなたは、どこでどう聴きましたか?~
戦争は、相次ぐ日本軍の敗退に暗転した。国内の主要都市は空襲で焦土と化し、皇居宮城も炎上、沖縄に米軍上陸、広島、長崎には「新型爆弾」原爆が投下された。
連合国はポツダム宣言で日本に降伏を迫ったが、その受託をめぐって御前会議は紛糾した。昭和20年8月10日、宮中の大本営地下室における最高戦争指導会議で、鈴木貫太郎首相が天皇陛下の裁断を求めた。陛下は即時終戦の意思を明確にされた。日本のポツダム宣言の受諾を通告
14日、陛下は「私が国民に呼びかけることがよければいつでもマイクの前に立つ」とお述べになった。8月15日正午の時報の後、「天皇陛下の御放送であります。謹んでお聞きするよう」のアナウンス。「君が代」吹奏の後、玉音放送が始まった。
後に陛下は「自分は立憲君主たることを念願してきたが、2回だけ非常に切迫した緊急事態のため直接行動をとった」
「その一つが2・26事件であり、もう一つが終戦のときである」とおのべになっている。
戦後65年を機に、ここに改めて、昭和天皇のご聖断をお伝えするとともに。
各界の10名の著名人による玉音ホウ素をめぐる「生と死」の先輩の証言を紹介したい。
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