特集「私の生死観」 作品はどれも遺作である 横尾忠則
新潮45 2010 11 「私の生死観」
作品はどれもが遺作である。
横尾忠則 よこお・ただのり 芸術家
結局人間は生と死の円を観覧車のように
ぐるぐる回転しているだけないはだろうか。
何の為に生まれてきたのか?
人生の目的は?
芸術に「目的」などまったくないと思う。
だったら人生と一体化している芸術にも
目的とならないはずだ。
もしあるとしたら「たったいま生きている」
というその行為自体に目的があるとしか
いいようがない。
目的のない人生はそのまま遊びである。
遊びの世界を死の世界と見なしてしまい
えば、本物の死の世界ニスウーと入って
いけるのではないだろうか。
安心して死ぬためには、毎日の作品が
遺作であると思いながら描いていきたい
絵なんか描いてなんほののんじゃ。
タカが芸術であり、アートですから。
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