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2010年11月16日 (火)

特集「私の生死観」 作品はどれも遺作である 横尾忠則

新潮45 2010 11 「私の生死観」

作品はどれもが遺作である。

横尾忠則 よこお・ただのり 芸術家

結局人間は生と死の円を観覧車のように
ぐるぐる回転しているだけないはだろうか。
何の為に生まれてきたのか?
人生の目的は?
芸術に「目的」などまったくないと思う。
だったら人生と一体化している芸術にも
目的とならないはずだ。
もしあるとしたら「たったいま生きている」
というその行為自体に目的があるとしか
いいようがない。
目的のない人生はそのまま遊びである。
遊びの世界を死の世界と見なしてしまい
えば、本物の死の世界ニスウーと入って
いけるのではないだろうか。
安心して死ぬためには、毎日の作品が
遺作であると思いながら描いていきたい
絵なんか描いてなんほののんじゃ。
タカが芸術であり、アートですから。

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