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2011年4月15日 (金)

3.11と日本の命運 原発事故の深い傷跡 「戦後」が終わり「災後」が始まる

中論 201 5 日本人がんばろう 緊急大特集 3.11と日本の命運 原発事故の深い傷跡

緊急特集 3.11と日本の命運
 
「戦後」が終わり、「災後」が始まる
御厨貴 東京大学教授

9.11以前/以後で米国も大きく変わった。3.11東日本大震災もまた「3・11」として記憶され、日本と世界を大きく変えるきっかけとなるのではないか。

# 後藤晋平を超える復興策を
  最も容易に比較しうるのは1923年9月1日の関東大震災である。内務大臣で元東京市長の後藤晋平(1857~1929)が政府内に帝都復興院が設置され総裁となった。
  放射能汚染の脅威にさらされている東京圏ではなく、西日本であろう。そうなれば、戦後ばかりが近代この方
なかった「民族大移動」がはじめて生じるこおになる。こうしたさまざまな意味で今後の国土計画は「新しい国づくり」であるといえる。

# 「復興委員会」では限界がある
  まず間違いなく10年を超える長期計画とならざるをえず、そこで被災者たちをリードできるのか否か大変である。危機管理態勢下においては国家主導と地方主権とを弾力的に考えていかざるをえないだろう。

# 戦後復興をも超える
  敗戦のときは、軍国主義や15年戦争からの開放感があった。それが明日への希望へとつながった。だが今回は開放感も希望もどこにも見出せない。今回はこの一層の心の救いを求めて新・新宗教が発生し、「大宗教時代」となることも考えられる。

# 「戦後」から「災後」へ
  「3・11」が今後、日本人の共通体験になると考えられるのは、天災と人災の複合した形だった。ここに大きな理由がある。日本社会の実態がそれを求めていた点において「偶発的必然」であったことに留意したい。いわば「自然災害性j」によって否応なくえ変化せざるをえなくされてしまったのである。

# 「災後」とはどういう社会か
  この国で腰を落ちけて暮せればよいのだという「スローライフ的」な生き方もますますはっきりと受け入れる 
  ようになるだろう。無理なく共生する社会をめさずことである。

# 「3・11」の世界史的意味

# 100日以内に復興策の議論の場を
   異端的人材を選びすみやかにやらねばならない。
  既成事実が積み上がって一体的な復興策がとりにくくなる前に、具体的には震災から100日以内に復興に向けた智恵を出し合う場を作るべきであろう。


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