「想定外」か?-問われる日本人の想像力 柳田邦男
文藝春秋 2011 五月特別号 日本人の再出発
「想定外」?-問われる日本人の想像力
柳田邦男 やなぎだ・くにお ノンフクッション作家
起こり得る可能性があるものは必ず起こる。 それが事故の掟だ
# 過去の写真が訴えるリアリティ
# 明らかになる「想定外」の虚構
A 本当に想定できなかったケース
B ある程度想定できたが、データが不確かだったり、確率が低いと
見られたりしたために除外されたケース
C 発生が予測されたが、その事態に対する対策に本気で取り組む
と、検討が大掛かりになり、投資額が巨大になるので、 そんなこ
とは当面起こらないだろうと楽観論を掲げて、想定の上限を線引き
してしまったケース
ケースAが極めて少ない。BかC、あるいはBとCの中間あたりのケース
が多数を占めているように見える。
[大津波の規模について]
869年の宮城県沖を震源とするM8以上とみら
れる「貞観(じようかん)地震」では、津波が仙台平野の内陸数キロまで
達したことが泥の調査などからわかり、古文書にも千人以上の死者が
出たとか記録されているこや、1580年頃にも、東北から関東まで巨大
津波が襲った痕跡があることを報告し、東電の原発の安全対策で、そ
れらの危険性について全く触れていなっかったには納得できないと
厳しく指摘した。
[原発の安全性設計について]
2006年衆議院内閣委員会で吉井勝秀(共産)が原発で非常用電源
が失わてた時に、どういう事態になるかを質問したのに対し、当時の
原子力安全委員会長の鈴木氏は「日本の(原発の)場合は同じ敷地
に複数のプラントがある事が多いので、他のプラントと融通するなど
多角的な対応を事業者に求めていると応えて、安全性を確保している
ことを協調した。
# 小さい見落としが導く大事故
# 問われる日本人の日本人の想像力
第1に「まさか」から決別する
第2に予算枠などから線引きする発想から脱却して
「できること」と「できないこと」を明示すること
第3に巨大な地震・大津波に耐えられる原発や防護法や市街地の
再建の基本的構造をどうするかだ。
「想定外」という発想に象徴される日本と日本人の防災対策・安全
対策における思考のパラダイムを転換することだ。
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