特集 福島の苦悩と焦燥 白河以北二束三文 椎根 和
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新潮45 2011 7
特集 福島の苦悩と焦燥
放射能の「中身」を調べよ
岡野真治 理学博士
ビキニ環礁やチェルノブイリを調査した放射線測定
の第1人者は、今回の事故対応をどう見たか。
# 事故が起きて一番気になったのは、全体で
どのくらいの放射線が環境に出たかという
見積もりです。
大雑把に計算して、セリノブイリの数パーセントが
出ていることがわかりましたね。
放射線測定は3つ有ります。
1.ある特定の場所で時間とともに変化していくの
を見る。モニタリングポストがやっていることです
2.場所でどう違うか。関東と東北を取っても差があり
ますし、地形やらトンネルとか海上とかの違いが
どしても要素で変わてきます。
3.放射線の種類です。
# 何のためのモニターか
# 恐怖感を持ち続ける。
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中央公論 2011 JULY lanuched in 1887 7
特集 もはや内向きではいられない
日本人の交渉力
日米交渉史にみるこの国の劣化
伊奈 久喜 ジャーナリスト
# 占領国米国に対し「弱者の恫喝」をかけた吉田茂
# 経済交渉で鍛えられた東郷文彦と田中均
# 災後、ますます弱くなる日本
# 日米協力を進めるための三つの「箱」
1.集団自衛権をめぐる日本政府の解釈の変更
2.政府開発援助(ODA)をめぐる日米間の調整
3.環太平洋経済連帯協定(TPP)の重要視
# 日本をめぐる国際環境に直ちに大きな変化は
みえないが、災後は紛れもなく日本にとって
新たな時代である。
国際社会のなかで日本の歩みが影響を与えず
にはおかない
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中央公論 JULY lannched in 1887 7
特集 もはや内向きではいられない
日本人の交渉力
”災後”の日本に揺さぶりをかける近隣諸国
先送りさてたTPP参加問題
ますます熾烈になるエネルギー争奪戦
ーーもはやわれわれは内向きではいられない
国難のいま試されるのは
深慮遠謀を求めた各国と渉り合う「力」である
1.大震災で弱体化した日本に中露韓は容赦
なく牙をむく
2.日朝平壌宣言までの永井道程
3.私が反捕鯨団を論破した瞬間
4.日米交渉にみるこの国に劣化
5.情報収集、おとしどころ、身体検査ーー
世界から認められた”小泉劇場”の舞台裏
6.美貌は国益になるか ルックス重視だった
遣唐使
7.南北戦争に学ぶ「国難」の乗り越え方
8.いまこそ「戦後」を精算し、「国家」を語れ
9。福島原発とともにメルトダウンした菅政権
政府に原子力被害救済の責任がある
詳細は次回から
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中央公論 2011 JUNE lannched in 1887 6
特集 老人ホームの賢い選び方
ルポ O フランク永井、山城新伍もそうだった
自宅以外で亡くなるということ
福島 安紀 医療ジャーナリスト
介護が必要な状態になったらどうなるのかーーー。
五人に一人が高齢者になり、未婚、離婚、死別
による”おひとりさま”や”子供に迷惑をかけたく
ない」高齢者が増えている今、切実は問題だ。
浪人ホームを終の棲家そした有名人二人の
最晩年を追った。
1.介護付有料老人ホームで終えたフランク永井の場合
前回の稿参照
2.特別養護老人ホームで終えた山城新伍、人生の落差
誤嚥性肺炎で亡くなった俳優の山城新伍さん(享年
70)が終の棲家としたのは、東京郊外の特別養護
老人ホームだった。
前婦人の元女優花園ひろみさんとは二度の結婚と
離婚を繰り返す。
05年 糖尿病であることを告白
そんな山城さんが特別養護老人ホームに入ったのは
08年6月のことだ。
ホームに入る手続きなどは京都に住む実弟が行った
特別養護老人ホームは、常に介護が必要で、自宅
で生活するのが困難は人が入所する施設である
介護付有料老人ホームのように、高額な費用が
かからないこともあって、1~2年入所を待っている
人も多く、要介護4~5など、介護の必要な老人で
なければ入れない。
山城さんは、手厚い介護を受けて余生を送ったとも
わかるが、華やかな銀幕のスターだったことを知る
人にとっては、その落差は大きい。
糖尿病だからといって食べるものを我慢したりせず
やりたいことをやって、ひっそりと生涯を閉じるという
のは、ある意味、山城さんらしい気もします
3.終の棲家は自分で選ぶ
人生の終着駅が、”寝かせきり賃貸住宅”では
あまりにも悲しい
せめて、自分の目で見て回れるうちに、終の棲家
をどうするか、考えて選んでおきたいものだ。
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中央公論 2011 JUNE lannched in 1887 6
特集 老人ホームの賢い選び方
ルポ Oフランク永井、山城新伍もそうだった
自宅以外で亡くなるということ。
福島 安紀 医療ジャーナリスト
介護が必要な状態になったらどうなるかーーー。
五人に一人が高齢者になり、未婚、離婚、死別
による”おひとりさま”や「子供に迷惑をかけたくない」
高齢者が増えている今、切実な問題だ。
老人ホームを終の棲家とした有名二人の
最晩年を追った。
1.介護付有料老人ホームで終えたフランク永井の場合
自宅の階段の手すりにネクタイをしばり、首吊り自殺を
図ったのだ。妻のミズ子さんが直ぐ異状に気付き救急車
を呼んだため、一命はとりとめたものの、一時は心肺停止
状態に陥り脳に障害が残った。
トイレや食事は介助が必要だった。看病疲れや回復の
見込みにない絶望感から妻も自殺を図り、92年に離婚。
夫婦の間に子供はなく、その後は独身だった実姉の美根子
さんが目黒の自宅で介護してきた。
フランク永井さんは、2007年初め、姉と共に、世田谷区
の閑静な住宅地にある介護付有料老人ホームに移り
住んだ。そんなフランクさんは、08年10月肺炎で息を
引き取った。享年76。
約2年をホームで、姉に見守られプロの介護を受けながら
過ごしたことになる。
2、特別養護老人ホームで終えた山城新伍・人生の落差
以下次回に
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柳田邦男 日本は燃えているか 講談社 昭和58年(1983)7月30日 第1刷発行
著者あとがきより
通貨危機にしても石油危機にしても、日本にとっては、真珠湾攻撃にも等しい奇襲攻撃であった。日本は経済大国となったがゆえに、ねらい撃ちをされ、爆弾を投げこまれた観があった。70年代以降、日本はある意味で、先進諸国からも開発途上国からも、無視し得ない存在となっている。表題の「日本は燃えているか」は、そうした状況を表わしたものである。かってヒトラーはパリ爆破計画を実行しようとしたが、失敗に終わり、パリは厳然として美しい街の姿を残した。ヒトラーは側近に、「パリは燃えているか」と聞いたが、パリは燃えなっかたのである。日本が激化する外圧の中で燃えつきるのか残るのか、それはいままさに進行中のテーマである。
私の現在の追記
70年代前半の円崩壊、通貨危機や石油危機を見事に乗り切り、80年代の高度成長や「ジャパンアズNo1」の90年代、そして失われ10年の2000年代。
今、東日本大震災やそれに伴う津波の被害、人災の福島第1原発の爆発。今 まさに日本は柳田邦男さんが心配した如く、日本は燃え盛っていると思う。
それにつけても、政治の何たる惨状だろう。
頑張れ!ニッポン
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