戦中派の死生観 吉田 満 「ニューヨークの三島由紀夫」 「黒地のネクタイ」
戦中派の死生観 吉田 満
ニューヨークの三島由紀夫 「俳句とエッセイ」昭和51年11月号 初出
グリニッチ・ビレッジに住む若者たちは、相手が異性でも同姓でも、同じようにひと時を楽しむ実力がなくてはなら ないという言い伝えは、決して誇張ではなかった。そのことを確認しただけでも、彼(三島由紀夫)の友情に感謝
しなければならない。そう思いながら私はホテルの前で別れて、深夜の街を地下鉄の駅に急いだ。
黒色のネクタキ 「ユイリカ」 1978年12月号 初出
吉田健一さんとは、一方的にお世話になるばかりんおご縁であった。
終戦の翌年、沖縄特攻作戦に参加した経験をまとめた記録「戦艦大和ノ最後」が、「創元」という雑誌の第1号
に載ることになり、活字に組んだゲラが出はじめるころ、占領軍司令部から「印刷は見合わせよ」と司令が来て
検閲通貨のために可能な限りの手段をくしてが、結局「全文抹殺」にうき目にあったことがる。
その時。自発的に応援の役を買って出られた方のなかの、最も熱心な一人が、吉田健一さんだった。
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数年後、久しぶりにある席でお会いすると、あの独特の眩しげな眼差しで、全身をくまなく眺められた。それから
「若いころに本を書いて多少名が知れると、身を過るとよくいわれる。君はしかし、こうやって見たところ、身を過
まってはいないらしい。これは大変うれしいことだ。何か記念に、と思ったが、幸い今結んでいるネクタイは、叔
父が最も愛用していたもである。よければ、ひとつ進呈しよう」と、するする外して渡されたのは、黒地に滲いこむ
ような渋い縞のある、風雅なイギリスのネクタイであった。
この春、パーティーでお目にかかったとき、お礼を申し上げると、大人(たいじん)はこんな些事のどきれいに忘
れておられて。「道理で、あのネクタクだけ、なぜないのかと不思議だったよ」をと、あとはグラスを高くあげ、
例の天のもとどく高笑いが響きわった。
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