生死観 吉田 満 青年の生と死
死生観 吉田 満
青年の生と死 「主婦之友」昭和53年4月号 初出
学徒出陣で海軍に入った私は、少尉として戦艦大和に乗り組み、昭和24年4月、22歳で沖縄特攻作戦に参
加した。大学時代は、平均的な学生として過ごした。聖書は時々読んだが、それまで教会に行った経験はなか
った。
戦争の本質や、自分が戦争に参加することの意味について、艦上勤務のあいだに、苦しみながら繰り返し考え
たが、納得できる結論はえられなかった。しかし内地に残してきた日本人の同胞、とくに婦女子や老人と、祖国
の美しい山野を、ふたたび平和が訪れる日まで護ることができるのは、われわれ健康な青年であり、そのため
に命を捨てることがあってもやむをえないと、自分に言いきかせるように努めた。
この沖縄作戦は、帰りの燃料を持たない必死の特攻出撃であった。したがって、はじめから戦死の覚悟は出来
ていたがずであるが、米機動部隊との激しい戦闘が一段落して、小休止のような静寂が艦を包んだとき、私は
肋骨の下から、何ものかが呼びかける声を聞いた。
---お前、死に瀕したる者よ 死を抱擁し、死の予感をたのしめ
死神の面妖はいかん? 死の肌触りはいかん?
お前、その生涯を賭けて果せしもの、何ぞ、あらば示せ
・・・・・
今にして自らに誇るべき、何ものもなきやーーー
私は、身もだえしながら、その声に答えた。
---わが一生は短し、われ余りに幼し、許せ 放せ
死にゆくものの惨めは、自らが最もよく知るーーー
いよいよ確実な死を眼前にしたとき、自分の一生をかえりみて、そこに何一つとるに足りるものがない事実を
あらためて知った。惨めな苛立たしい気持ちを、私はこのように正直に、手記(「戦艦大和ノ最後」)に書いている
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