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2011年7月10日 (日)

吉田 満 「死・愛・信仰」 「病床断想」 「1兵士の責任」 「異国にて」

戦中派の死生観 吉田 満
大正12年1月生まれ。昭和18年12月、東京大学法学部在学中学徒出陣で海軍に入隊。昭和20年4月「大和」に乗り組み沖縄突入作戦に参加。日本銀行監事在職中、昭和54年9月肝不全で死去。
著書に「戦艦大和ノ最後」「鎮魂戦艦大和」「散華の世代から」「日米全調査・戦艦大和」(共著)「提督伊藤整一の生涯」などがある。

「死・愛・信仰」 「新潮」昭和23年12月号
 私は自分の宗教に対する反感が、いままで思い込んでいたように理論的な根拠のあるものではなく、
 正反対に、全く感情的なものであったことを認めざるを得なくなった。
 宗教・信仰に関連して、接してゆくことを努めた。
 神を愛し神に祈る。神は愛しこたえたもう。
 そしていつか私にも死が与えられるであう。

「病床断想」 「わかあゆ」昭和25年10号
 不自由な生活にとじこめられてから、1ヵ月を過ぎ、その間の心境の変化にも、気付くようになった。
 1言でいえば、だんだんおだやかな、すんなりした気分になれたようだ。
 人間の順応力というのか、両目で見ていた、開けた視野の記憶も、ほとんどうすらいでしまった。
 
「1兵卒の責任」 「論争」昭和37年9月号(原題「戦中派の良心」を著者改題)
 戦争責任の事実
 1.徴兵を拒否しなかったこと
 2.軍隊生活の中で意識的にサボろうとう態度を取らなかったこと
 3.戦争の悲惨さ本当の深さは、はかりえないのではなかろうか
 4.戦闘の最後の場面で、乗艦がほとんど真横に傾き水平線が垂直に近い壁となって蔽いかぶさってきたとき
   何を訴えようとしたのか、生き残った同胞が、これからも困難な時代を乗り越えてこんどこそ、本当の生き方
   を見出してほしいと訴えるというような祈りたいような、声の限り叫びたいような気持ちだった。

「異国にて」 「新潮」昭和34年12月号(原題「戦艦大和」異聞」を著者改題)
 異国に迎えられた勇者
 戦艦ミズーリーと菊の紋章
 陶酔と恐怖の間
 太平洋を越えての再開
 

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