戦中派の死生観 吉田 満 若者に兆す公への関心 あすへの話題 霊のはなし
戦中派の死生観 吉田 満
著者略歴
大正14年1月生まれ。昭和18年12月、東京大学法学部在学中学徒動員で海軍に入隊。昭和20年4月「大和」に乗り組み沖縄突入作戦に参加。日本銀行監事在職中、昭和54年9月、肝不全で死去。著書に「戦艦大和ノ最後」「鎮魂戦艦大和」「散華の世代から」「日米全調査・戦艦大和」(共著)「提督伊藤整一の生涯」などがある
若者に兆す公への関心 「プレジデント」 1977年4月号
若者たちの敏感な感性は、戦後の復興から高度成長までの安逸な時代とちがって、彼らが社会の第1線に出
て自分の知恵で身を立てなければならないこらかの時代は、「公的」なものに積極的にかかわることなくしては
「私的」な仕合せそのものが初めから成り立たたないことを予感している。
{50年」~{決別」 「日本経済新聞」コラム「あすへの話題」・昭和53年1月~6月26日の毎週月曜日に24回
掲載(但し1月16日のみ休載)
50年
陸軍と海軍
富士山の177倍
詩人
津軽海峡・冬景色
文字に飢える
火と水
書斎
フォーク
民度
スーパースター
白髪と軍帽
社会の1年生
人間の幸福
独行の人
エリート支配
平和
ライフワーク
よき時代
死
罪と罰
遠い想い出
真実を語る
決別
霊のはなし 「オール読物」 昭和51年12月号
私が格別のご厚誼を願っている女性に、造型美術、音楽、舞踊、文学のあらゆる分野にひいでた、万能の芸術 家がいる。彼女はまたスケールの大きな旅行家で、殊にインカの遺跡に深い愛着を持ち、最近は年に一度はか ならずペルーを訪問する、これから紹介するのは、彼女がはじめてペルーを訪れてからまだ間もない頃の話であ
る。
以下はこの旅にお伴をした、若い女性のお弟子さんの告白である。先生は楽天家。「明日はきっといいこごがあ りますよ」と仰った。首都リマに着いて、タスコと並ぶインカの中心、チチカカ湖までの飛行機をホテルで手配
しようとすると、あいにく大掛かりな調査団とぶつっかて、いつもはすいていえるはずなのに、切符が1枚もない
キャンセルもないどろうという。
翌朝、起されてあたりを見回すと、トイレのドアが開いている。 先生 髪を梳ったあと、きれいに後始末を
今度はトイレから手招きしていらっしゃる、洗面台をのそくと、真っ白なクリームがたっぷりと、大きなヤマににっ て、底にうかんでいる、香りも艶も、いままで見たこともない高級品のよう。誰のかしら、と思った瞬間、背筋が
ゾクゾクした。
「もう叱らないわよ」先生は悪戯っぽそうな笑顔になって、「これは、王族のお姫様ね。私たちがインカが大好き
なので、ここでよろこんでお迎えしれいるっていうこを娘さんらしく黒髪とクリームで知らせているのよ。
待っていらっしゃい。いい知らせがくるから」
食事すませて部屋で休んでいると、けたかましく電話が鳴った。「ほら、航空会社からよ、」歌うような声。
思いがけずヂャンセルが2枚あったので、すぐ飛行場に来てほしい、とのこと。
霊のことといえば、このように陽気で、人を不幸のするよりは幸せにするはなしが、好きであす。
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