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2011年7月16日 (土)

戦中派の死生観 吉田 満 江藤淳「海は甦える」 「海軍とう世界」

戦中派の死生観 吉田 満

江藤淳「海は甦る」  「諸君!」昭和51年4月号  初出
 「江藤さんが、いよいよ山本権兵衛を書くようですよ」と東北大学の池田清教授が教えてくれた。兵学校出身
 ながら戦後政治史を専攻し、「日本の海軍」の著者である池田氏は山本権兵衛の評伝という試みが、とれほど
 野心的な冒険であるかを知りぬいていたはずである。
 山本権兵衛ーーーこの一代の英雄が日本海軍の近代化につくした業績はかくれもないが、権兵衛個人を手が
 かりにその足跡を起して読者を惹きつける物語に仕立てるには、器量があまりにも大き過ぎる。権兵衛は1組織
 の指導者というよりは歴史劇の製作者兼演出家であり、その影響は個々の事件にではなく、一つの時代全体
 にあまねく浸透している。
 権兵衛伝「海は甦る」の出来栄えを占う池田氏のこの懸念が幸い机憂に終わったことは、「文藝春秋」誌の記録
 といわれる3年、36回にわたる長期の連載を達成し、この期間の大半を通じて巻末の創作欄を飾って多数の読
 者に歓迎され、完結後昭和50年度文藝春秋読者賞を受賞したとういう事実が、明らかに示している。

海軍という世界    「勝海舟全集」第16巻月報・1973年3月
 帝国海軍は28年前にほろんだ。これは事実であるが、海軍という世界が長崎伝習所以来90年日本に存在し
 今なおその余滴を後世に残していることも事実である。戦後についていえば、その直後の数年よりも昨今の方
 が海軍の存在を想い起すことが多いのは私だけではあうるまい。
 それはどんな世界であったか。第1に思いうかぶところはふろころの深さである。私のように1年の速成教育で
 任官し1年足らずの実施部隊の経験しかない予備士官でもそれないりにネーヴィー生活への愛着があるし、
 江田島や舞鶴出身の現役士官はもちろん、短期現役主計科、飛行科、軍医科、あらいは7つボタンの予科練
 と、それぞれにわれこそは海軍の魅力を深奥まで極めたものと自負しているのっだから愉快である。馴染みが
 浅ければそれだけ執着も弱いのが普通であるが、兵学校78期のようにわすか数ヶ月、しかもいくつのの分校
 にわかれて初歩教育を受けただけの連中でも、今もって立派な雑誌を定期刊行し旧交を温めあっている。
 海軍とは短いつきあいで失望の余地がなくかえって純粋なあこがれだけが残っているしかもしれない。

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