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2012年1月27日 (金)

愛媛学 道後の湯 Ⅱ 糠田気王(ぬかたのおおきみ)

道後温泉が日本最古の温泉の証拠として、前回の「伊予湯岡碑文」(聖徳太子が推古4年、596年に道後温泉を訪れるている)は、現物の碑が未発見の事やその当時さまざまな記録から、疑わしいと言うのが、現在では通説になっている。

しかし、糠田王(ぬかたのおおきみ)が「日本書紀」の斉明天皇7年(661年)の条にある様に熟田津(にぎたづ)にて、万葉集 巻1・第8番 の歌
 熟田津 に船乗りせんむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
と歌ったことは、事実であろう。

この時は斉明天皇を始め中大兄皇子、大海皇子、糠田王も随行した。これは百済再興を期して、日本朝廷に救援軍を求めきたのだ。日本朝廷はそれに応じた。

その途中で朝廷の一行は伊予の熟田津に逗留したが、それが伊予の何処かは、今だ定説はないが、斉明天皇がご病気になり、崩御された。この時に道後温泉を利用した事は十分推定されるから、道後温泉が日本最古の温泉の重要な根拠の一つになると考える。


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2012年1月26日 (木)

愛媛学 道後の湯 Ⅰ 伊予湯岡碑文

伊予湯岡碑文とは
 
碑の現物は亡失し、文面のみ「釈日本記」巻14所引の「伊予風土記」逸文に残っています。「釈日本記」や「万葉集注釈」が引用した「伊予風土記逸文」には、推古4年(598年)聖徳大使(厩戸皇子)と思われる人物が伊予(現在の愛媛県)の道後温泉に高麗の僧・慧城臣なる人物を伴って赴き、その時湯岡の側にこの旅を記念して「碑」を建て、その碑文が記されていたとされています。

その原文は難解ですので、梅原猛氏が著書「聖徳太子」の中の現代語訳を引用させてもらいます。

「法興6年10月 我が法王大王が慈恵法師及び葛城臣とともに、伊予の村に遊んで、温泉を見て、その妙験に感嘆して碑文を作った。思うに、日月は上にあって、すべてのものを平等に照らして私事をしない。神の湯は下から出でて、誰にも公平に恩恵を与える。全ての政事(まつりごと)は、そのように自然に適応して行われ、すべての人民は、その自然に従って。ひそかに動いているのである。かの太陽が、すべてのものを平等に照らし、偏ったところがないのは、天寿国が蓮の台に従って、開いたり閉じたりすようなものである。神の温泉に湯浴みして、病をいやすのは、ちうど極楽浄土の蓮の花の池に落ちて、弱い人間を仏に化するようなものである。険しくそそりたった山岳を望み視て、振り返って自分もまた、五山に登って姿をくらましたかの張子平のように、登っていきたいと思う。椿の木はおおいかさなって、丸い大空のような形をしている。ちょうと「法華経」にある5百の羅漢が、5百の衣傘をさしているように思われる。朝に、鳥がしきりに戯れ鳴いているが、その声は、ただ耳にかまびすしく、一つ一つの声を聞き分けるこてはできない。赤い椿の花は、葉をまいて太陽の光に美しく照り映え、玉のような椿の実は、花びらをおおって、温泉の中にたれさがっている。この椿の下を通って、ゆっくりと遊びたい。どうして天の川の天の庭の心を知ることができようか、私の誌才はとぼしくて、魏の曹植のように、7歩歩く間に詩をつくるこががでかいのを恥としている。後に出た学識人よ、どうがあざわらわないでほしい」(「聖徳太子」梅原猛・著。集英社)

愛媛県や松山市の考古学者は、どんな方法でも良いからこの碑文を掘り出せば、道後の湯が日本最古の温泉であると、確実な証拠になる。

願わくば早く発掘される事を祈るのみ


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2012年1月15日 (日)

愛媛学 みんま(巳午)

愛媛学(地域学)
みうま(巳午)について
愛媛県の中伊を中心に他県には見られない特別な死者を弔う年末の習慣があります。それが”みうま”(巳午)です。”みうま”(巳午)とは
年内に新仏のあった家の方が、12月の最初のみ(巳)の日の午(うま)=正午、12時にお墓参りをして、新仏様のお正月を祝うことを「みんま(みうま)」といいます。
昔は巳の刻から午の刻に変わる真夜中にしていたのが、いつの間にか巳の日の正午に変化して行ったようです。
これは、愛媛県ならではの習慣で、戦国時代に縄輪半島を中心に猛威を振った戦国武将が、出陣する折、生きて祝えないかもしれないお正月を一足早く12月の巳の日に祝ったという戦国武家の慣わしに由来していると言われいます。
時は流れてこの習慣は、今日では年内に亡くなった人を供養する行事となり、12月の巳の日に、仏様のお正月として故人の冥福を祈るようになりました。
一般的には、親戚の方に案内はしません。各自でお参りされる風習になっています。
神道、キリスト教、浄土真宗、日蓮正宗の宗旨の場栄、おこなれないことが多いようですが、行ってはいけないと決まりはないようです。
地域により、しきたりは違ってきますが、あまりこだわっていないようです。
新仏様のお正月として、故人を偲ぶ気持ちが大切と思います。

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