愛媛学 道後の湯 Ⅱ 糠田気王(ぬかたのおおきみ)
道後温泉が日本最古の温泉の証拠として、前回の「伊予湯岡碑文」(聖徳太子が推古4年、596年に道後温泉を訪れるている)は、現物の碑が未発見の事やその当時さまざまな記録から、疑わしいと言うのが、現在では通説になっている。
しかし、糠田王(ぬかたのおおきみ)が「日本書紀」の斉明天皇7年(661年)の条にある様に熟田津(にぎたづ)にて、万葉集 巻1・第8番 の歌
熟田津 に船乗りせんむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
と歌ったことは、事実であろう。
この時は斉明天皇を始め中大兄皇子、大海皇子、糠田王も随行した。これは百済再興を期して、日本朝廷に救援軍を求めきたのだ。日本朝廷はそれに応じた。
その途中で朝廷の一行は伊予の熟田津に逗留したが、それが伊予の何処かは、今だ定説はないが、斉明天皇がご病気になり、崩御された。この時に道後温泉を利用した事は十分推定されるから、道後温泉が日本最古の温泉の重要な根拠の一つになると考える。
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