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2012年2月 5日 (日)

愛媛学 道後の湯 Ⅲ 遍路と温泉

道後温泉は古くから世に知られた天下の名湯である。現在の道後温泉本館は、明治27年(1894)完成の木造3階建で、入母屋造り、桟瓦葺きの建物で、国の重要文化財となっている。
遍路ににとって道後温泉は大きな楽しみであったと思われる。長く苦しい遍路の旅の途次、昔から遍路たちはここで旅の疲れを癒した。「玉の石」には、「四国遍路七ヶ所 三十三番じゅんれい同行幾人にても勝手次第一宿するなり」とあり、四国遍路七ヶ所参り、松山西国巡礼の人々が当時、道後で自由に一宿できたことがうかろがえる。また、「伊予道後温泉略案内」の中に、「遍ん路三日まではゆせんいでず 一まいりには二十四もんづヽ、ならびに二とうみやせん十二もん出る也」と記さていて、「三日」までは銭湯免除という遍路を優遇する習慣があったことがわかる。しかし、幕末にはこの習慣も変化し、安政2年(1855)の定書によると、四国遍路や通り掛の者は三日間に限って止宿湯治を許可、また遍路のほか身なりのよろしからざる者や病気の者は養生湯に限っての入浴を許すことなどが慣行的に定められた。さらに、温泉街における湯治宿と遍路宿との弁別も明確となり、遍路が道後で一般旅人の宿に宿泊するこては困難になっていったらしい。
明治・大正には、それががはっきりしてきたようで、大正7年(1918)に遍路した高群逸枝は、「娘遍路記」の中に、「道後温泉町」に着いたのは午後の五時頃であったろう。或る旅人宿を訪ねたら、「お遍路さんはお断りして居りますから」と言う。仕方が無いので又復汚い宿に追い込まれて了つた」とある。

「伊予の遍路道 (平成13年度 遍路文化の学術整理報告書) 愛媛県」 頁88よりい引用

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